17種以上のスパイスで作る神谷町・大門のスパイスカレー

スパイスカレー新海

東京タワーも近いんです。

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スパイスカレー新海 大門店と神谷町店から徒歩12、3分くらいで着く所に、東京のシンボルの一つともいえる東京タワーがあります。

今日は東京タワーについてちょっと調べてみます。

 

 

東京タワーが作られたきっかけ

戦後、日本の放送業界はある問題を抱えていたそうです。

それは各局が独自に電波塔を建てていた為だったからです。

一局では関東全域をカバーするような電波塔を建てることが出来ないし、あちらこちらに100メートル超の塔が乱立しては都市の美観も損なってしまう…。

そんな中、この建設のきっかけを作ったのは、当時の郵政省電波監理局長が新聞に「新年の夢」と題した投稿でした。

「6つのテレビ局の放送等を1本にまとめ500メートルの鉄塔を北の九公園あたりに建てる。その鉄塔に展望台を設置して観光利用する。そして羽田の国際空港からモノレールを敷設する」

この投書が引き金となって、タワーの建設が現実化に進み、「全部一緒にした大きな電波塔を建てよう」という計画が建てらます。

この時、音頭を取った人の中に、前田久吉(ひさきち)という、当時いくつもの放送局や新聞社の社長を兼任しており「マスコミと言えばこの人」というような存在の人がいました。

彼が「奈良時代でさえ五重塔(約57メートル)が建てられたのだから、現代の技術なら世界一の塔が建てられるはずだ」と豪語して、そのように設計してほしいと依頼したことによって東京タワーは333メートルという高さになりました。

 

エッフェル塔のパクリだと批判もあったとか

当初380メートルの予定だったが、風邪の強さによっては電波が乱れる恐れがあるということでぎりぎりまで切り詰めることになりました。

それでもパリのエッフェル塔より21メートルも高くなり、前田の要望通り世界一の電波塔として誕生することが出来ました。

特にデザインについて、当初は「エッフェル塔のパクリだ」という批判もあったものの、それはこの規模の鉄塔を建てようとするのであればある程度形が似通うのは仕方ないことで、実際に真似たわけではないようです。

 

東京タワーは当初、上野に建てられる計画があった

東京タワーを建設するうえで最も重要なポイントは「地盤が安定している」場所であることでした。

芝公園付近には、東京礫層(とうきょうれきそう)という強固な地盤が通っているうえ、東京タワーのある場所は高台で電波塔に適していました。

さらに、各放送局や国の中枢機関からも近く、利便性が高い点も、この場所に決まった理由の一つだったようです。

当初は上野も建設候補地の一つだったようですが、芝公園の条件を上回ることは出来ず、結果的に芝公園での建設に至りました。

 

東京タワーエピソード集

①東京タワーの完成日と上皇陛下の誕生日は同じ

東京タワーは1958年12月23日に完成し、完工式が行われました。

これは上皇陛下の誕生日(1933年12月23日」と同じで、25歳になられた日に完成しています。

 

②完成当時は世界一高い建造物だった

東京タワーの高さ333メートルですが、1958年の完成当時は世界一の高さでした。

当時世界一だったエッフェル塔の約320メートル(現在324メートル)を抜き、世界一の座に輝きました。

 

③高さが日本一だった期間は以外と短い

東京タワーは東京スカイツリーに抜かれるまで最も高い塔だったというイメージが強いかもしれませんが、実は少し異なり、完成して9年半後、1968年に小笠原諸島が返還されたことにより、南鳥島ロランタワーと硫黄島ロランタワーに抜かれ、日本一高い塔ではなくなりました。

ただし、自立式鉄塔としてはスカイツリーに抜かれるまで約51年半に渡って日本一の高さでした。

 

④東京タワーの名前は一般公募で決めたられた?

東京タワーの名称を決める際には一般公募が行われました。

8万通を超える応募があった中、最も票を多く集めたのは「昭和塔」という名前。

「東京タワー」という名前は13位で応募数も223通とわずかな数でしたが、選考に参加していたスタッフの推薦により、得票数を無視して東京タワーという名前が採用されたとのこと。笑

 

⑤東京タワーの材料に戦車も使われている

東京タワーの材料の一部には戦車が使われています。

東京タワーの工事が始まった1957年の少し前に朝鮮戦争があったが、その戦争に参加したアメリカ軍はボロボロの戦車を多く抱えていました。

一方日本は鉄不足で悩まされていた為、アメリア軍の戦車を建材として買い取ることになり、主に展望台より上の部分に戦車が使われています。

 

⑥配色が変わったことがある

まず、色は赤ではなくインターナショナルオレンジと白。

航空法で定められた色で、他には羽田の近くの煙突やクレーンみたいなものにも使われており、昼間障害標識と呼ばれていて、飛行機が認識しやすい色。

1986年に配色を変更させられています。

1986年以前は白とインターナショナルオレンジが20メートル間隔で塗られていましたが、当時の航空法の改正と周囲に高層ビルが立ち並ぶようになって東京タワーが目立ちにくくなったことをきっかけに、白とインターナショナルオレンジを30メートル間隔で塗り直しました。

 

⑦東京タワーは正式名称ではない?

東京タワーの正式名称は「日本電波塔」とする説があります。

東京タワーの公式キャラ「ノッポン弟」は、タワーの正式名称は東京タワーで、運営管理の会社名が日本電波塔だとツイートしたことがあるようです。

が、日本電波塔株式会社の社長や社員がテレビ番組で「正式名称は日本電波塔」と」明言したことがあったり…。

建設当初、公募で名称が決まる前の正式名称がが日本電波塔だった、と考えるのが正しいとする説もあるそうです。

 

ライトアップ・照明の歴史

東京タワーが現在のように夜間にライトアップされるようになったのは、1989年(昭和64年)の元旦から。

それ以前は電球によるイルミネーションが施されていました。

開業時から、タワーの鉄塔には四つ足に沿って、5メートル間隔で数個の電球がタワーの輪郭をかたどるように取り付けられていました。

 

イルミネーション(1958~1988)

イルミネーションは東京オリンピック以後から本格的になり、連夜店頭を開始したのは1965年のクリスマスイブから。

完成時には250個だった電球の数もどんどん増やし、最終的には696個まで増設されましたが、電球切れが目立つことがよくありました。

あるアイドル歌手が新幹線から眺めたタワーを見て「東京タワーの電球が所々切れていてみっともないから直してほしい」と苦情の「電話があり、このことが電波塔幹部職員たちの心残りになっていたそうです。

そして30周年を機に、照明の見直しが始まります。

この頃の東京タワーは廃れたテレビ塔といったイメージで、その存在は薄くなっていました。

 

ランドマークライト(1989~)

日本電波塔は、世界的に有名な照明デザイナー石井幹子氏に照明デザインを依頼をします。

余計な荷重を避けるために、なるべく少ない灯数で効果的な照明効果をねらい、エッフェル塔の照明の半分の電気容量に抑えることを目指しました。

そして完成したのが「ランドマークライト」(夜空にタワーがオレンジ色に浮かび上がる照明)です。

このライトアップで東京タワーは夜の東京の顔として威厳を取り戻したのです。

 

ダイアモンドヴェール(2008~)

50周年を記念して、2008年から7色に変化する新しい照明デザイン「ダイアモンドヴェール」が加わり、より女性的になりました。

このダイアモンドヴェールは、設定されている時間帯があり、金・土曜と祝日の20時から22時の2時間限定で登場します。

今後も「ランドマークライト」と「ダイアモンドヴェール」は並行して行われていくそう。

7色それぞれの色にはメッセージが込められています。

白(永遠・継承)、黄(希望・祝祭)、青緑(地球・平和)、赤紫(夢・幸福)、青(水・命)、緑(自然・環境)、赤(愛・感謝)

「ランドマーク」に切り替わる午後10時になると、下から一段ずつ順にライトが消える「ライトダウン」を観ることが出来ます。

 

気になる電気代

ダイアモンドヴェールが始まった2008年から、「ランドマークライト」は3割ほど明るくなって、電気消費量は20パーセント減少させることが可能になり、その電気代は1時間3000円で、「ダイアモンドヴェール」はさらにその半分の電気量(1時間に5千円)だそうです。

 

東京タワーのこれから

万が一スカイツリーが使えなくなった時の予備として

こうして世界一の電波塔として誕生し、レストランやショールームなど観光向けの施設も多々取り揃えた東京タワーは年間300万人もの来場者数を誇る観光名所となりました。

スカイツリーへのバトンタッチに伴って閉鎖した施設もありますが、現在も大展望台などが営業しています。

また、予備電波塔として位置づけられている為、万が一東京スカイツリーにトラブルが発生した場合は東京タワーから電波が発信出来るようになっているそうです。

更に現在でもラジオのFM局の電波は東京タワーを利用して発信されていたり、放送電波以外にも、大地震が発生した時に東京駅を中心に100キロ圏内を走る列車を緊急停止させる為のJR東日本の無線アンテナも設置されています。

そういった理由もあり、東京タワーはこれからも現役の電波塔であり続けると言えるのではないでしょうか。

 

今回実際に東京タワーの足元まで行ってみました。

近くで見る東京タワーは思ったよりも迫力があり、でもどこか懐かしさを感じさせてくれました。

これからも東京のシンボルとして沢山の人に愛される場所であり続けてほしいと思いました。

みなさんも東京タワー観光へ行ってみてください。

そして、ぜひ東京タワー観光の前後に、スパイスカレー新海 大門店、神谷町店へお立ち寄り下さい。笑

 

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