スパイスの歴史

 

前回、スパイスについて投稿しましたが、今回はその中でも歴史について掘り下げてみようと思います。

 

 

世界とスパイス&ハーブ

人はいつのころからか、日本でもインドでも中国、ヨーロッパでも、つまり洋の東西を問わず人々は身の回りにある香りの草花をさまざまな経験に基づく知恵を活かして、ある時は食用に、ある時は薬草として、更には生活を飾るクラフトにしてみたり、ガーデニングという楽しみ方も見出してきました。

これがハーブ(香草)と言われてきたものです。

人が共通に持つ植物との関わり方なのかもしれません。

また、日本や中国の漢方、欧米のアロマセラピー、インドのアーユルヴェーダなどは、スパイスやハーブを医学に応用した共通の例と言えます。

一方、広い世界では、その土地ならではの事情でスパイスやハーブが使われてきた歴史を発見出来ます。

ヨーロッパでは、広い国土の中で食糧を遠くまで運ぶ必要や、冬に食物を確保する必要、つまり腐敗を防ぐ’保存’の為にスパイスが使われてきました。

また強い臭みの肉類の臭み消しや香り付けの食文化が発達し、そこからスパイスやハーブに関心が向いていったようです。

また、暑さの厳しいインドや東南アジア諸国では、暑さの為減退しがちな食欲を増進する必要があり、様々な香りや抗菌作用のある辛みのスパイスに目が向き、多くの種類が大量に消費されてきました。

 

具体的な歴史の例

古代

◆エジプト◆

ピラミッド建築にガーリックを使用。

ピラミッド建設は「炎天下で巨大な石を運ぶ」という体力を使うものであった為なのか、労働者たちにニンニクが与えられていたという記録があります。

ピラミッド内部からも、ニンニクの粘土模型が発見されるなど、スパイスとピラミッドには深い関係があったようです。

他には、ミイラにシナモン、クローブを使用していたようです。

古代エジプトではピラミッドの中にミイラを安置させていました。

死体をミイラとして残していたのは、当時の宗教観からくるもので、人間は肉体と精神から成り立っていて、その仲立ちをする精霊がいるとされていました。

死後、精神は冥界に行くが、肉体が死後そのままの状態を保っている場合、精神が仲立ちをして生き返ると考えられていたようです。

その為、いつ生き返ってもいいように、出来るだけ肉体を綺麗な状態で保存しようとしたのです。

この時、防腐剤として使われていたのがシナモンだったそうです。

 

◆漢(中国)◆

宮廷官吏の口臭剤にクローブを使用。

寺院、教会で空気を清める香煙・香酒、香飯として使用されていたそうです。

医学の誕生

医学の祖と呼ばれるヒポクラテスは紀元前400年頃にはすでに400ものハーブの処方を残しています。

基本になっている考え方はハーブの香りによる効用に触れ、それまで呪術的な手法ではなく病気を科学的にとらえるなど現代にも通じる医学の基礎を築きました。

紀元50~70年頃に活躍したローマ時代の医師デュオスコリデスは、植物・胴縁・鉱物万般を収斂、利尿、下痢など、薬理機能上から分類した「マテリア・メディカ(薬物誌)」を著しています。

載せられている植物は600種、薬物全体で1000項目にも及んでおり、こうして古代ギリシャ・ローマを中心とした国々で、経験的に知られた植物(スパイスやハーブ)の効果が体系化され、医学や薬学、植物学が誕生しました。

 

中世

◆シルクロード発達◆

東西の交易が盛んに行われました。

1299年 マルコ・ポーロ「東方見聞録」東洋の絹織物、中国のモルッカ諸島のスパイス、ジパング(日本)の金の宮殿の話などを紹介。

中世には高騰するスパイス、繁栄する世界都市

古代から中世には、スパイスは東洋の産地からヨーロッパに長い陸路・海路を経て運ばれ、多くの商人の手を経るうちに価格は高騰し、ヨーロッパに着く頃には金銀に匹敵する高価な財宝のような価値がありました。

その中継地点となったアラビアの港町や市場町を中心にアラビア商人が用の東西を行きかい、コンスタンティノープルなどの繁栄を極めた世界都市が出現します。

ベニスなどの地中海沿岸の都市は、東方からの物資をヨーロッパに送り込む中継地点として繁栄し、メディチ家などの大富豪を輩出しました。

マルコ・ポーロの「東方見聞録」

一粒が銀貨一枚に相当したというコショウの他、シナモン、クローブ、ナツメグ、ジンシャーなどを産する登用が、宝の山として目に写り、東洋進出への夢を、そして、その東洋を旅したマルコポーロの「東方見聞録」(1299年)で紹介された、絹織物、中国やスパイスを産する島々、日本(ジパング)の純金で造られた宮殿の話などが、ヨーロッパ人に一層強烈な印象を与え、東方の関心を掻き立てたようです。

そして15世紀末からはコロンブスを始めバスコ・ダ・ガマ、マゼランなどが活躍した大航海時代が幕を開けました。

時代はスパイスを巡る激しい争奪戦が繰り広げられるスパイス戦争時代へと移っていきました。

 

大航海時代

西洋に東洋への探求心を刺激

◆新大陸発見◆

コロンブス(スペイン)

1492~1504年にかけて4年の航海へ出たコロンブスは、1回目の1492~1493年に新大陸を発見しました。

 

◆喜望峰航路発見◆

バスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)

1498年 アフリカ大陸を西に周回し、インド西海岸(マラバル海岸)のカリカットまでの航路を開拓、スパイスを安価に入手する道を拓きます。

ハーブと魔女狩り伝説

大航海時代、様々な発見によってヨーロッパの社会・経済は大きな変化を遂げます。

一方で14世紀から17世紀のこの時代は、ペストなどの疫病が大流行するなどして社会が乱れ、暗黒時代と呼ばれています。

このような疫病の大流行の中、町の医療の中心を担ったのは修道院で医学を学ぶ男性達です。

しかし、田舎に暮らす農民や庶民には、遠く離れた町へ行く手段もなく、また高価な薬を買う事も出来なかったので、ハーブについて豊富な知識を持つ女性が作っていました。

彼女たちは文字の読み書きは出来ませんでしたが、特にハーブの知識に大変優れた女性は「ワイズウーマン(賢い女性)」と呼ばれその多くが助産婦でもあり、彼女たちは民間に合って大変頼れる存在でした。

しかし、「人間の生と死に関わるものは神に仕える聖職者でなければならない」と信じて医療を行う聖職者にとっては、彼女たちは邪魔な存在と言えました。

そこで、ハーブの知識にたけた多くの女性が魔女狩りの対象として「魔女」に仕立て上げられて、火あぶりにされるなど迫害されたと言われています。

魔女狩りの背景は様々な要因が複雑に絡み合っているが、このような被害が数世紀に渡りヨーロッパ各地で起こりました。

 

◆世界一周◆

マゼラン(ポルトガル)

1520年 後のマゼラン海峡を発見し、太平洋の横断に成功。

マゼランはフィリピンのセブ島で戦死したが、香料諸島に到達し、人類初の世界周航を果たしました。

マゼランが西回りにモルッカ諸島を目指したのは、世界一周をしたかったからではありませんでした。

16世紀、当時のヨーロッパはスパイスが育ちにくい気候にあった為、それまでヨーロッパ人は東回りにモルッカ諸島へと船で向かい、スパイスを買って戻ってきていました。

しかしその中でスペインは東洋貿易の拠点を持っていなかった為、「西回りにインドへ向かう航路を発見することが出来れば、より簡単にスパイスを見つけることが出来るのでは?」と考えるようになります。

マゼランが目指したモルッカ諸島はインドネシアの海に分布しており、別名「香料諸島」と呼ばれていて、そこではナツメグやクローブなど価値の高い香辛料が古代ローマの時代から生産されていました。

豊富な資源が採れることから、モルッカ諸島へは航海技術の発展した中世以降、ヨーロッパ諸国がたびたびそれらを求めてやってくることとなります。

ちなみにモルッカ諸島を経由して帰国したマゼランの艦隊(正確には帰国できたのは1隻のみ)には約1トンものスパイスが積まれていました。

当時のスパイスは同じ重さの金に相当する価値があった為、持ち帰ったスパイスによる利益はこの航海に費やした投資金額をはるかに上回るほどのものだったと言われています。

そのマゼランが残した功績は非常に大きく、新しい貿易路が開拓されたことでヨーロッパ諸国はスパイスがより手に入りやすくなった為、それまで薬用や肉の保存用としてのみ使われていたのが、だんだんと食文化にもスパイスを取り入れるようになっていきます。

また、マゼラン艦隊が世界を一周したことは、同時に「地球球体説」に証明にも繋がっています。

これらの実績がどれだけ大きいものかという事は「マゼラン海峡」「マゼランペンギン」「マゼラン星雲」など、多くのものがマゼランの名にちなんで付けられていることからもわかるのではないでしょうか。

このようにマゼランはスパイスの、そして人類の歴史を語る上で欠かせない人物となっています。

 

◆スパイス戦争、ルネッサンス◆

シルクロードに代わるスパイスロードともいうべき貿易航路が開拓されると、スパイス入手を目的にスパイス産地を独占すべく争奪戦争が繰り広げられました。

アジア貿易の流れが地中海から西欧に移り、繁栄をきわめた諸都市の貴族は古代ギリシア・ローマの文化を参考にしながら、神中心の中世的な在り方から自我を主張する近代的な生き方への転換が、文学、芸術、思想の諸文化活動を舞台に展開していきました。

修道院とハーブ

ルネッサンス時代に入ると、アラブ、中東からスパイスやハーブ、医学、解剖学についての知識や書物が世界に伝えられました。

その影響下、当時の主に文字の読める修道院の僧侶や知識人が、ギリシャやローマの医学文献を手書きで書き写して保存し、修道院の敷地内に薬用ハーブ園を作り、ハーブ薬で治療を行っていました。

やがて、町の薬局でもハーブ薬が販売されるようになっていきます。

ハーブ療法の復活

魔女狩りの中、民間で活躍していたハーブの使い手は闇に隠れてしまいました。

そしてそんな女性たちを弾圧した修道院僧はハーブの知識を独占し、一方で当時の認定医師とされた人々が痛み止めのない手術など、手荒い治療を施していたのです。

そんな手荒い治療を避ける為か、当時疫病に苦しめられていた人々は、もぐりの薬剤師や怪しげな医療で金もうけをする「医療関係者」に頼っていったようです。

このような風潮のなかにあってパラケルスス(1530年代)は、身の回りに生息するハーブの力を説き、そして当時のイギリス国王ヘンリー7世は、こうした医療行為を法律で厳しく規制する一方、例外的に「純粋なハーバリスト」には両行為を行える権利を与えました。

こうして民間でのハーブ療法が再び復活してきます。

この頃になると、外国からのハーブの知識と民間のハーブ療法を結び付けて体系づけようとする知識人が現れ、その成果を書物に著す等の活躍をしました。

その中の一人、ニコラス・カルペパーは17世紀、庶民の頼りになる薬剤師として活躍しました。

高価な薬が買えない貧しい人々の為に、彼は1653年、「薬局方」を英語に翻訳した「The English Physician」を出版し、分かりやすい表現でハーブ医学の方法を解説しました。

こうして、より多くの庶民がハーブを自分で栽培して薬として使う知識を得、カルペパーも尊敬と信頼を集めていきました。

 

近代・現代

1747年 ディジョンマスタード最古のブランド、MAILLE誕生(フランス)

18世紀末 イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社が世界で初めてカレー粉を商品化

1886年 FAUCHON誕生(フランス)、スパイスと紅茶に情熱を注ぐ。

1990年 デザイナーフーズプロジェクトとスパイス&ハーブ

アメリカでは近年、病気を”治療”ではなく食事・食習慣の改善で”予防”しようという取り組みがされてきました。

特にスパイスやハーブ、野菜、果物などに含まれる成分を日常の食生活の中で摂取し、病気を予防しようというものです。

それには医療や保険の分野に費やされる膨大な費用の抑制につながるという経済的な効果も織り込まれています。

そこで1977年にマクガバン委員会が発足し、アメリカ国立がん研究所と連携を津米、1990年にはアメリカの国立がん研究所が中心となって「デザイナーフーズプロジェクト」がスタートしました。

がん予防の為に食品成分がどのような機能を果たすかについての科学的解明をしようと言います。

その過程で明らかにされたのが、野菜や果物、スパイスやハーブなどががん予防の面から重要度の高い順にピラミッド状に並べた「がん予防の可能性のある食品ピラミッド」です。

がん予防に効果があるとされる野菜・果物40種類が明記されていて、その中には、ガーリックやジンジャー、ターメリックと言ったお馴染みのスパイスからバジル、タラゴン、ミント、オレガノ、タイム、ローズマリーなどのハーブ類が多く含まれます。

統合療法へ ハーブが医療で注目される

現代の医学は飛躍的な進歩を遂げているが、対症療法であったり、ピンポイント的であったり、薬に頼り過ぎて副作用を起こすなどの問題点も指摘されています。

高度化、複雑化する一方の現代社会の中で、複合的な要因や、心的な要因で病に侵されるケースも増え、現代医学だけでは対応しずらい状況も生まれています。

「癒し」という言葉がよく聞かれるようになってきたのも、そんな現代の事情を反映しているからかもしれません。

その中で、この現代医学を補完あるいは代行する医療として、ハーブ療法やアロマテラピー、バッチフラワーレメディー(植物の不思議な力を特殊な方法で抽出したエキスを利用する)、ホメオパシー(植物や鉱物などから抽出した毒素を希釈した錠剤を使う)、有名なインドの「アーユルヴェーダ」など、様々な療法が注目を浴びています。

おおよそ共通するのは、部分ではなく全体を見、身体全体の調和を重んじ、日常生活の改善にも目を行き届かせじっくりと時間をかけて視聴する、さらに身体自身に備わっている免疫力など自然の力を活用するといったところです。

しかし最近は代替や補完ではなく、かわって「統合医療」への流れが本流になってきています。

というのも、現代医学に不向きなところを代替療法が担っていることは確かですが、逆に、骨折や外科的手術を要する病気、癌などの重病、急性の病気には長い時間を必要とする代替療法は不向きだからです。

そこで、お互いが不向きなところを協力しあってよりよい医療にしようという「統合医療」という言葉が最近よく用いられるようになってきました。

ハーバリストはハーバリスト、医者は医者と区別していた時代とは違い、ハーブ療法も統合医療に見合うよう現代風に形を変えつつあります。

 

 

調べてみると、学生の頃世界史で学んだ人物や言葉が出てきたのでとても興味深かったです。

スパイスやハーブの面から世界の歴史を見ると違った見方が出来つつも、それらも全て含まれての「世界史」だったんだな、と考えさせられました。

今回、ここで載せきれなかった「日本」にも次回、目を向けていきたいと思います。

 

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