続・スパイスの歴史

 

前回書いたように今回は日本のスパイスの歴史です。

日本だけを切り取っても色んなことが出てきました。

 

日本とスパイス&ハーブ

「スパイス」という言葉は英語のSpiceに由来し、日本では「香辛料」と訳されて通用してきました。

しかし、つい最近、1970年代半ばまでは馴染みが薄く家庭はおろか、商品も店頭にはあまり並んでいませんでした。

古くからスパイスを使いこなして来たヨーロッパやインドなどとは事情が異なるようです。

第1に日本では、湿潤で豊かな自然に囲まれ、新鮮な海の幸や山の幸を比較的容易に入手することが出来ました。

その為、必ずしも保存や強い香り付、消臭効果を求める必要がなく、比較的素材本来の持ち味をそのまま生かすような調理法が主流だったのです。

このため日本のスパイスの特徴として多くが辛さを伴っています。

第2にそれほど多くの種類のスパイスを必要とせず、何種類かのスパイスを組み合わせて使うという事も比較的少なかったようです。

第3に魚にまつわるものが多いということ。

海で囲まれ川が流れる日本では古くから魚介類に親しんできました。

しかも新鮮ゆえに、素材の味わいを大切にした刺身や寿司文化も発達し、魚の生臭さを消し、たんぱくな味わいを引き締めるために、スパイスの”薬味”的な使い方を一層促進してきました。

そんな中で使われて来た代表的な和風スパイスとして挙げられるのが、しょうが、山椒、わさび、ニンニクなどです。

一方、たで、大葉、ねぎ、よもぎなどは、身近にある植物を経験的に生活の知恵を発揮して使ってきた歴史があり、日本のハーブと言えるでしょう。

そんな事情で日本では古くから「スパイスとは辛いものである」と意識されてきましたが、世界で数多く使われているスパイスで辛さを伴っているものはむしろ僅かなんだそうです。

 

スパイス&ハーブの日本史

古代

◆奈良・平安時代(8~10世紀)◆

古事記に「山椒、生姜、辛子、乾生姜」

東大寺正倉院文書の中の正税帳(734年)には「胡麻子(ごま)」

本草和名(918年)には「山葵(わさび)」などの名前出て来る為、古くから栽培されていたのだろうと考えられています。

8世紀 正倉院の御物の中に「胡椒、丁字、肉桂」などが登場。

11世紀 源氏物語に「大蒜(にんにく)」が風邪薬として用いられていると記述。

奈良・平安時代

すでに聖武天皇の代(724~749年)の日本には、胡椒などのスパイスが上陸していました。

正倉院の御物の中に、胡椒のほか、クローブ、シナモンなどが収められており、いずれも貴重な薬として日本に渡来していたようです。

ではなぜ、ヨーロッパ同様のスパイス文化が発展しなかったのでしょうか。

これには米を主食とする日本の食文化と大きな関わりがあるそうです。

米を中心とした食文化の形成が日本で始まったのは弥生時代。

高い栄養価と味の良さに加え、生産効率が高く保存にも適していたことから、米が食生活に取り入れられるようになったといいます。

天武天皇の時代の675年には「動物の肉を食べると稲作が失敗する」「稲の豊作の為には肉を断つ」という思想に基づく米作りの為として「肉食禁止令」が出され、この肉食禁忌の思想は水田の開発と生産力の増強が進んだ中世を経て、江戸時代の幕末まで続きます。

肉の代わりとなるたんぱく質摂取の観点から魚が重視されるようになり、中世の末期には米、魚、野菜を中心とした日本的食生活が一般化したといわれています。

ヨーロッパで発展した肉食文化においては、保存や臭み取りの為に胡椒やクローブといったスパイスが欠かせないものでしたが、日本での香辛料の利用は素材の味を引き立てる薬味という形で発展していきました。

この聖武天帝の時代(701~756年)には、4回も遣唐使が中国を訪れ唐と修交を深め、また在位中の736年にはインドのバラモン僧や唐僧も来朝しています。

この遣唐使が持ち帰ったものか、あるいは僧が献上したものかは不明ですが、スパイス類が貴重な薬として聖武帝の手元に置かれていました。

 

大航海時代

◆スパイス戦争と日本◆

15世紀 薬用として「ナツメッグ、ターメリック、リカリス」などが使われる。

16世紀 ポルトガル船の漂着により唐辛子が伝来。

ポルトガルと日本

ポルトガルはインド(1510年)を始め、アフリカ南部、セイロン、マラッカ、スマトラ、ジャワ、モルッカ諸島、中国の広東、マカオを制し、1543年には初めて豊後(大分)の神宮浦にポルトガル船が入港、その年の10月にはポルトガル人が乗った船が種子島に漂着し鉄砲が伝えられました。

こうして日本へも次々とポルトガル船が来航しました。

スパイス戦争と日本

中国(元や明の国)との交易、中世のヨーロッパ人(ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなど)の来航、日本の東南アジア諸国の進出、近世の御朱印船貿易などを通じて、クローブ、胡椒、唐辛子などのスパイスが渡来しました。

江戸時代に入ると、徳川家光が鎖国令を発した為外国との交流が途絶え、日本は独自の文化を育んでいくことになります。

この江戸時代、庶民の間に定着した外来のスパイスが、コロンブスの新大陸発見以来世界中に拡がった唐辛子でした。

唐辛子は、日本の風土にも適応して各地で栽培されるようになり、いち早く日本の食卓にのぼり、七味唐辛子など、薬としてでなくスパイス(薬味)として利用され始めます。

その唐辛子は、江戸時代後期の寛永2年(1624年)「からしや・徳右衛門」が七味唐辛子を発明して今の東日本橋に店を構え、売り出されています。

この頃、たまたまマラッカへ渡っていた鹿児島の青年、安次郎はキリスト教をアジアへ布教中のザビエルに会い、ともに日本でキリスト教を広めようと1549年の鹿児島へ上陸しています。

因みに、ポルトガル人が初めて唐辛子の種子を日本にもたらしたのも、この頃であったとする説があります。

オランダと日本

オランダの東洋進出は日本にも少なからず影響を与えました。

1600年3月26日、豊後にオランダ船「リーフデ号」が漂着。

このリーフデ号はオランダからマゼラン海峡を経てモルッカ諸島のスパイスを目指して西進していた5隻の船団の中の1隻で、途中嵐の為に分散して漂着しました。

その航海長のウイリアム・アダムスはイギリス人で、のちに日本名で三浦按針と名乗り、日本の歴史の舞台に登場してきます。

そのアダムスが、家康の命を受けて建造した120tの洋式船が「サン・ブェナベンツーラ号」です。

1601年には京都の商人田中勝介ら22名の日本商人がこの船に同乗し、日本人として初めて太平洋を渡り、カルフォルニア、アカプルコ、メキシコシティを訪れます。

1614年には、仙台藩士支倉常長は太平洋を渡りアカプルコへ上陸し、メキシコ東岸から更にスペイン船に乗り、大西洋を横断した初めての日本人となりました。

その後、徳川家康は御朱印船を承認、延べ十数万人もの日本人が東南アジアに渡り、日本人商人がこの地の経済に一定の影響力をもつに至りました。

フィリピン、ベトナム、タイ(シャム)、カンボジア、マラッカ、スマトラ、ジャワ、サラワク、セレベス、モルッカなどに進出し、各地に日本人町も出来ましたが、家光の時代に鎖国令が敷かれ、交流の路はわずか30年ほどで閉ざされたのです。

天正の少年使節とスパイス

大友宗麟(豊後)、有馬晴信(島原)、大村純忠(大村)、3人はキリシタン大名がイタリア人司祭ヴァリニャーノの発案の元、4人の九州の少年を長崎からヨーロッパへ派遣したのは1582年で、天正少年使節として歴史上有名です。

名門の出身である4人は、ポルトガル、スペイン、イタリア等ヨーロッパの先進諸国を歴訪、時のローマ教皇の謁見も果たし、8年5か月後の1590年7月21年に長崎へ帰り着き、翌年正月に豊臣秀吉との謁見した際、賜物の中にはミラノの鎧、サーベル、鉄砲などとともに、モルッカのクローブ、バンダ島のナツメッグ、セイロンのシナモンなどのスパイスも含まれていました。

 

近代・現代

◆1867年 明治維新◆
カレー粉が伝わる

鎖国の為外国の新しい文明や産物にほとんど接することの出来ない時代が200年余りもの間続いた後、明治維新によって文明の道が拓けました。

この後、日本に独創的なスパイス文化が誕生し、発展していきます。

 

◆明治維新、戦後を経て、現在の食生活◆

こうして、米と魚を中心に日本独自の食文化が形成されてきましたが、幕末の開国と明治維新を機に西洋料理が流入し、肉食が再開されるようになりました。

それまでの食生活が一変することはなかったものの、徐々に普及が進んでいきます。

大正時代に入ると、コロッケ、とんかつ、カレーと言った洋食が一般市民の間に普及し始め、特にカレーは人気が高く、カレーを提供するレストランも出現し、ミックススパイスの概念がうまれたのもカレー粉が始まりと言われています。

昭和に入り第二次世界大戦がはじまると食料事情が深刻化、終戦後アメリカの経済援助の元、小麦の輸入が始まり、これがのちのパン食の普及につながったとも言われています。

そして、経済が回復し始めた1960年ごろから高度成長期に突入し、都市ガスなどのインフラ、冷蔵庫などの家電の普及、スーパーマーケットの登場など食料を取り巻く環境が大きな変貌を遂げ、食生活の洋風化が一気に加速しました。

今では誰もが口にするカレー

文明開化間もない明治5年(1872年)に刊行された「西洋料理指南」や「西洋料理通」の中に私たちは初めて「カリー」の作り方を見出すことが出来ます。

元々インドに原型があったカレー料理は、東洋に進出したイギリスが1600年に「英国東インド会社」を設け、本格的にインド支配に乗り出したことが契機となり、イギリス本国へライスと共に伝えられ、ヨーロッパに伝統的なルウタイプに生まれ変わった後、西洋料理の一つとしてヨーロッパから日本にもたらされました。

日本では穀物を主食にしていた関係から、カレー料理は米飯と結びつきライスカレーとして定着し、国民食と呼ばれるほど日本全国に広まりました。

カレー(粉)は、日本人が生み出し、発達させてきた独自のスパイス文化と言ってもいいのではないでしょうか。

初めてカレーに出会った日本人は誰か。

「会津藩白虎隊の一員でもあった山川健次郎が明治4年に渡米した際の船中食で、カレーライスなるものに初めて接し、「このゴテゴテしたもの」と称してライスにかかったカレーを食べる事は出来ず、ライスだけを食べ、この船中食には閉口したそうだ。山川健次郎がカレーライスに接した初めての日本人ではないだろうか、という新聞の記事があります。

山川健次郎はその後、日本帝国大学や京都帝国大学の総長を歴任するなどの識者で後年、回想録の中で以上のようなエピソードを紹介しています。

しかしこれはあくまで文字に残った記録であり、天正の少年使節は、インドで日本人が奴隷として働かされている姿を目撃しているようです。

江戸時代の初期アジア各国の日本人町に多くの日本人が住んでいました。

こうしてアジアに進出していった日本人が、どこかでカレー料理に出会っていたとしても不思議ではありません。

 

1923年 カレー粉の国産化に成功

21世紀 スパイス&ハーブの現在・未来

スパイス・ハーブの現在・未来

独自のスパイス文化を形成してきた日本だが、ナツメッグやシナモン、カルダモンといった洋風スパイスに限ってみると、自由に使いこなしているとは言えません。

日本人のスパイス購入量は欧米に比べ10分の1程度というデータもあるくらいです。

洋風スパイスをそろえている世帯は全体の半分、今まで洋風スパイスを経験したことのある主婦は3分の1に過ぎないという報告もあります。

そんな中でもスパイス・ハーブは徐々に日本の食文化に取り入れられつつもあります。

ファストフードやファミリーレストランなど気軽に楽しむことのできる外食レストランでは、スパイスの効いたメニューが当たり前に並び、子供や若者が好むスナック菓子にはスパイスやシーズニングスパイスがふんだんに使われ、人々は知らず知らずのうちにスパイスを体験し、激辛ブーム、イタリアンブーム、エスニックブーム、韓国ブームが次々と起こり、日本人の食体験は飛躍的に広がりました。

そこで体験したスパイスやハーブの効いたメニューを家庭内で作り家族で楽しむという傾向が強まり、洋風スパイス&ハーブの市場は確実に伸びています。

一方でスパイスの健康性が次第に実証されつつあり、自然志向とも相まってこの面からもスパイスに注目が集まっています。

このような人々の期待に応えるかのように、カラフルなパッケージにまとわれたスパイスやハーブの数々がスーパーの店頭を飾り、タイプもホールタイプから手軽に使えるシーズニングスパイスまでその種類は数えきれないほどになっています。

最近では、生鮮のハーブが野菜売り場の中で目立つようになりました。

21世紀に入った日本のスパイス・ハーブ文化は新たな段階を迎えたと言っていいのではないでしょうか。

 

日本でのスパイスの普及が他の国に比べて遅かった理由や日本由来のスパイス(薬味)もあることが分かりました。

私たちの生活の彩りを一層濃くしてくれるスパイスから、ますます目が離せません。

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